大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(ワ)7002号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 高野敬一

被告 乙山春夫

〈ほか一名〉

右訴訟代理人弁護士 上野健二郎

主文

一  被告らは原告に対し別紙物件目録記載の建物部分を明渡せ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

(申立)

一  原告

主文と同旨

仮執行宣言

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

(主張)

一  原告の請求原因

1  原告は別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という)の所有者である。

2  被告らは本件建物のうち同目録二記載の部分(以下「本件建物部分」という)を占有している。

3  よって原告は被告らに対し所有権に基づき本件建物部分の明渡を求める。

二  被告の認否及び抗弁

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  被告らは、次のとおりの経緯により、親子間の扶助義務の履行として、もしくは原告との間の使用貸借契約に基づき、本件建物部分の占有権原を有する。

(一) 被告春子は原告とその妻花子との間の一人娘であり、被告春夫は被告春子の夫である。被告らは、昭和二九年一月婚約、同年四月一九日挙式、同年五月二七日婚姻届出をした。被告らは、婚姻に際し原告夫妻から同人らとの同居を条件として強く求められたので、これを了承し、原告は二世帯で住むのに適した住居を建てるための敷地として、被告春夫の紹介により本件建物の敷地を買い求めた。当時建築したのは本件建物の一階部分であるが、建築に際しては被告らの意見も大幅にとり入れられたし、特に被告らの居室に予定されていた八畳間は被告らの要望通りに建築施工された。被告らは婚姻と同時に本件建物に入居し、一階の八畳間を専用の居室とし、四畳半の和室、台所を両親と共用して、食事も共にしてきた。

(二) その後長女夏子(昭和三〇年八月生)、長男秋夫(昭和三四年六月生)が出生し、さらに第三子が出生することになったので、原告は被告らの居室に使用させるため本件建物の二階部分を増築した。右増築に際しても、二階部分は被告ら専用部分であるため、部屋数、各室の大きさ、間取り、内装等一切被告らに一任されていたので、被告らは一二畳二間、六畳一間の洋室とし、昭和三八年七月に二女冬子が出生したのち同年八月末頃本件建物の二階部分の増築完成と同時に入居し、一階八畳間は原告夫妻との共用とした。

次いで被告春夫は、昭和五一年一一月、原告の承諾を受け、約六〇〇万円を負担して本件建物一階部分の四畳半の和室と台所とを合体させてリビングルームに、二階部分の子供部屋一二畳を六畳二間にそれぞれ改装し、ガス暖冷房システム設備、壁紙、天井、床材の各張りかえ工事を行った。

(三) 被告春夫は、昭和二九年四月同居以来、生活費として応分の負担をしてきたが、昭和四一年二月原告が一時病臥してからは昭和五四年三月まで両親の生活費一切を負担してきた。昭和五四年四月頃、母花子と被告春子との間に反目が昂じ、以後食事は別個にとっているため、現在食費は原告自ら負担している。

(四) かように、被告らは原告ら両親と同居の親族として互に扶け合う関係で本件建物部分を占有してきた。原告の本訴請求は被告らの生活の本拠を奪い、その生活を苦境に追い込む結果となり、扶助義務に悖り許されない。

(五) 仮に親子間の建物利用関係についても基本的には民法上の賃貸借或は使用貸借関係で規律すべきであるという考え方にたつとしても、被告らは前記(二)の経緯で本件建物の二階部分に入居したのであるから、原告と被告らとの間には、昭和三八年八月末頃、本件建物部分について使用貸借契約が成立したとみることができる。そして右使用貸借は、被告ら家族の住居の安定をはかったもので、被告らが他に住居を取得して本件建物部分を必要としなくなるか、或は少くとも子女が成人し他出して本件建物部分で生活しなくなるまでは被告らにおいて住居として使用することを目的としたものであるから、使用貸借関係は存続している。

三  抗弁に対する認否及び再抗弁

1  抗弁事実は争う。被告らは原告の単なる同居人であって本件建物部分についてなんらの占有権限を有しない。

2  仮に原告と被告らとの間に使用貸借契約が成立しているとしても、原告と被告らは次のような事情によって相互に仇敵の如く対立してその共同生活は完全に破綻しているから、原告は民法五九七条二項の類推適用により、本訴においてこれを解約する。

(一) 被告春子は、昭和五三年三月頃、本件建物及びその敷地二七四・三一平方メートル(八二・九八坪)の名義を被告春子に移転するよう要求した。原告がこれを断ったところ、両親に対し「扶養義務がないのに食べさせてやっている」等と暴言をはくようになり、その頃、ボール箱を原告に投げつけて顔に傷を負わせたりした。

(二) 昭和五四年四月頃、被告春夫は原告の承諾を得て本件建物及びその敷地を担保に三〇〇〇万円を借り受けたが、弁済期が過ぎても弁済した旨の報告をせず、原告がどうなっているかをたずねたところ、被告春子は「返済できなかったから、土地、建物はどうなるかわかっているでしょうね。」と言った。

(三) 被告春子は風呂の浴槽の栓をかくして入浴不能にしたり、玄関のチャイムのコードを切断したり、電話の切替を不能にしたり、原告に暴力を振ったりして原告を虐待し、原告の生活は破綻状態となっている。

四  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は争う。

(証拠)《省略》

理由

一  本件建物は原告の所有であり、被告らが本件建物部分を占有していることは、当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、被告春子は原告と妻花子との間の一人娘であるが、被告春夫との婚姻に際し原告ら両親の強い希望で同居することになったので、原告は、昭和二九年四月、当初から二世帯同居の目的で本件建物の一階部分を建築し、以後原告夫妻が八畳と六畳の和室、被告ら夫妻が八畳の洋間を各専用部分とし、四畳半の和室、台所、食堂、浴室、便所、玄関を共用して生活を共にしてきたこと、昭和三八年八月、被告らの第三子出生を機に、原告が被告らの家族の居住の用に供するため本件建物の二階部分を増築し、以後被告らが二階を専用部分とし、階下の八畳洋間は共用部分としてきたことが認められる。

建物所有者である親がこれを子に無償で使用させている場合の法律関係は、純然たる民法上の使用貸借と認められる場合もあるであろうが、右事実関係からすると、本件においては、親と子(成熟子)との間の親族的扶養(親子間相互の生活扶助義務)の要素が加わっていることは明らかである。そして、このような場合、建物所有権に基づく明渡請求は、黙示の使用貸借契約の成立、解約、その制限という構成をとるまでもなく、建物所有者が一方において負担する生活扶助義務の面から制限を受けるものと解すべきで、原告が建物所有権に基づき本件建物部分の明渡を請求するについては、原告に右扶助義務の履行を尽させることが公正かつ合理的ではないと認められる程度に被告らに反社会的、反倫理的な行為が存するとか、原告が本件建物を全面的に使用する必要があるとか、その他明渡請求を正当として肯認するにたりる特段の事情が存することを要するものと解するのが相当である。

三  本件においてこれをみるに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  被告らは、原告ら両親と同居以来、当初は食費を負担する程度、数年後春夫の仕事(昭和三二年頃丙川商店と称して日曜大工用品卸売業をはじめ、現在は資本金一五〇〇万円、従業員数二六名の株式会社丁原を経営している。)が安定するようになってからは応分の生活費を分担して共同生活を営み、昭和四三年七月、原告が戊田証券常務取締役を退職してからは、春夫が生活費全部を負担してきた。春子と母花子はもともと折合いが悪く、喧嘩ばかりしている状態であったが、昭和五一年頃には春夫の発案で一階の共用部分を改装し、共に食事をしながら円満をはかるように試みるなどの努力がなされたこともあって、一応は無事に経過し、また、春夫が事業資金を必要としたときは、原告から、昭和三二年頃一〇万円、昭和三四年頃四〇万円を借用(いずれも約定の期限に弁済されている。)するなど、相互扶助の実をあげていた。

2  昭和五三年三月頃、春夫は丁原の運転資金に窮し、原告の承諾を得て本件建物とその敷地(以下「本件建物等」という。)を担保に銀行から金銭を借用しようとしたが、銀行の係員から会社と関係のない者の不動産を担保に提供するのでは会社の信用上思わしくないと言われ、そのことを春夫から聞いた春子が原告に対し本件建物等を春子名義にして貰いたいと要求したことから原告と春子との仲が急速に悪化した。原告は、老令(明治三〇年八月六日生)ではあるし、自分の死後の妻花子の生活の資としても本件建物等を保持する必要があり、これを今春子にやるわけにはいかないという考えをもっていたので、生きているうちにやることはできないと断ったのに対し、春子は、めんどうをみてやっているのだから、別に自分の物にしようと思っているわけではなし、担保にしやすいように名義を移す位のことはしてくれてもよいではないかという考えであったため、原告に断られて激昂し、「欲張りじじい、死んでしまえ」と言いざまスコッティ(ティシュペーパー)の箱をテーブルに投げつけたのがはね返って原告の顔にあたった。このような仕打ちを受けた原告は、春子が自分の財産をとろうとしていると思い込み、春子に対する態度を硬化させた。そのため、この頃から食費の負担についても争いとなり、副食費は原告らが負担して、別個に食事をとるようになった。

3  昭和五四年三月頃、春夫は再び事業資金を借入れる必要が生じ、原告から三〇〇万円を借用したほか、本件建物等を同年七月末日まで担保として借受け、三菱銀行東中野支店のため抵当権を設定して、三〇〇〇万円を借受けた。原告は、春夫が一〇〇〇万円借りると言っていたのに三〇〇〇万円の抵当権がついていることを知って不安に思っていたこともあって、八月に入ってすぐ、春夫に対し三〇〇〇万円の弁済はどうなっているかをたずねたところ、居合せた春子は、原告から借用した三〇〇万円も期限通り弁済しているし、従来借用した分も常に約定通り弁済しているのに信用されていないことを不満に思い、「担保が返ってきたって返ってこなくたって仕方がない」と原告の不安を助長するような趣旨のことを言った。春夫が既に弁済したと答えたのでその場は収まったが、春子はこのことを契機に信用されていないのならめんどうをみる必要はないと言い出し、原告らに対し、以後春夫名義のガス代、電気代等は支払うが、原告名義の水道料、電話料は自分で払え、食費も自分でまかなえと言って原告らの生活費を負担することをやめ、原告ら夫妻と被告ら(特に春子)とは、入浴、電話の取次、衣類の出し入れ等、日常の生活でもことごとに対立するようになった。

4  原告は昭和五五年一月に東京家庭裁判所に親族間の紛争調整の調停を申立てたが、不成立に終った。原告ら夫妻は、現在年間約一〇〇万円の年金で生活しているが、物価高や、老令になって体がきかなくなってきたこともあって、被告らに本件建物部分の明渡を求めたうえ、これを有効利用したいと考えている。春子との間に親子としての感情はなく、むしろ春子の二言目には欲張りじじい、くそじじい、死んでしまえ、などという言葉や、孫達を含め日常の挨拶さえない冷ややかな生活に精神的に耐えられない状態になり、生きている間に自由をとりもどしたいと言うまでになっている。春夫は、丁原の経営状態も好転し、月収約六三万円を得ており、原告らの生活費を負担することについては異存はないというものの、現在なんらの援助はしていない。前記調停に際しては、かつて原告が本件建物等を処分してマンションに移りたいと言っていたので、これを三〇〇〇万円で買取りたいと述べたことがある。春子は、親子だから話合ってもと通りになりたいと思っているとは言うものの、母との間の永年の軋轢は、現在なお通常の対話もできないほど険悪である。

以上の事実が認められる。

四  右認定事実に基づき判断するに、原告側にも老人特有の頑なさ、被害妄想的なところが窺われるけれども、年令的にみて思考方法の転換を求めるのは到底無理な状況にあり、被告ら側により強く原告らに接する態度の変容が求められなければならないところ、逆にこれに火を注ぐかのような前記2、3の春子の言動は、父である原告の心情を甚だしく傷つけ、親子間の信頼を裏切るものというべきであって、本来二世代同居の目的が、子が若年の時代には親がこれを助け、親が老年に達したときは子がこれを助けるところにあることに思いを至せば、社会的、倫理的非難に値するものということができる。

ところで、生活扶助義務は、自己の能力(主として経済的能力)だけでは生活を維持することができない者がある場合に、他の親族が自己の生活を犠牲にしない限度において、言いかえれば、自己の生活を維持してなお余力がある限度でその者の生活を補助することであるから、原告にとって、住生活についてだけいうならば、本件建物を所有していることは自己の生活を維持してなお余力があるといい得るけれども、生活全般をみたとき、原告らに対する生活扶助義務の履行を拒否してかえりみない被告らに対し、原告側のみに生活扶助義務の履行を尽させ得るかどうかは疑問である。被告らからの生活扶助を期待しえない原告にとって、唯一の資産である本件建物等を余生の生活の資とするには、先ず被告らに本件建物部分の明渡を求めなければならない。これに対し、比較的高額の収入を得ている被告らにとって、移転すべき住居を求めることは原告が他に生活の資を得ることに比較すればさほどの困難を伴うものとは認められず、その他本件建物部分を明渡すについて特段の支障となるべき事情を認めるにたりる資料もない。春夫が約一〇年間原告らの生活費を負担してきたこと、共用部分についても費用を負担して改装工事を行ったことなど被告らに有利な事情を考慮してもなお、原告が被告らに対し所有権に基づき本件建物部分の明渡を請求するについては、これを正当として是認するにたりる特段の事情があるというべきである。

五  以上により、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。仮執行宣言は相当ではないから、これを付さない。

(裁判官 大城光代)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例